菊池隆吉

『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「菊地伊代守」表記区画を隆吉の屋敷地と推定。家禄は100俵

外交分野で実務に当たる叩き上げ

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政2年1月20日1855年3月8日勘定組頭大助永々御目見以上
文久2年4月8日1862年5月6日勘定吟味役大助100俵高に加増
文久2年7月3日1862年7月29日外国奉行大助
文久2年7月8日1862年8月3日外国奉行伊代守諸大夫
文久3年12月30日1864年2月7日大目付/外国奉行伊代守
元治元年5月27日1864年6月30日大目付伊代守
元治元年6月17日1864年7月20日寄合伊代守御役御免
元治元年7月6日1864年8月7日京都町奉行伊代守
元治元年7月19日1864年8月20日寄合伊代守辞任
元治元年8月13日1864年9月13日外国奉行伊代守高100俵
慶応元年12月8日1866年1月24日勘定奉行次席外国奉行伊代守
慶応2年11月4日1866年12月10日禁裏附伊代守
慶応2年11月20日1866年12月26日寄合伊代守辞任
慶応3年7月6日1867年8月5日外国奉行伊代守
慶応4年1月15日1868年2月8日勘定奉行(勝)丹後守
慶応4年1月28日1868年2月21日寄合伊代守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/元治2年)外国奉行より抜粋

家紋は丸に違い鷹の羽