糟屋義明

『江戸切絵図』小日向/万延元年より抜粋、「粕谷筑後守」表記区画を義明の屋敷地と推定。家禄は200俵

最後の新潟奉行

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化2年9月12日1845年10月12日小納戸鎗之助
弘化3年9月28日1846年11月16日小姓鎗之助彌右衛門倅
嘉永元年12月16日1849年1月10日小姓筑後守諸大夫
嘉永6年9月22日1853年10月24日小姓(家定公)筑後守
安政5年6月15日1858年7月25日小姓頭取介(家茂公)志摩守
安政6年10月15日1859年11月9日小姓頭取(家茂公)志摩守
万延元年閏3月22日1860年5月12日小納戸頭取格筑後守
万延元年12月1日1861年1月11日先手弓頭筑後守
文久元年6月21日1861年7月28日箱館奉行筑後守
文久2年7月6日1861年8月1日箱館奉行筑後守箱館在住
文久2年12月28日1863年2月16日新番頭格小納戸頭取筑後守高200俵
文久3年6月24日1863年8月8日西丸留守居大和守
文久3年8月13日1863年9月25日神奈川奉行大和守高200俵
文久3年9月28日1863年11月9日西丸新番頭(二番組)大和守
文久3年12月28日1864年2月5日禁裏附筑後守
元治元年9月5日1864年10月5日寄合筑後守御役御免
慶応3年6月28日1867年7月29日外国奉行並筑後守高200俵
慶応3年10月15日1867年11月10日外国奉行並/新潟奉行筑後守高200俵
慶応4年3月3日1868年3月26日寄合筑後守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)神奈川奉行より抜粋

家紋は三つ盛右三つ巴