栗本鯤(栗本鋤雲)

『江戸切絵図』小石川/安政4年より抜粋、「栗本瑞見」表記区画を鯤の屋敷地と推定。昌平黌学問吟味甲科及第(天保14年)。家禄は300石

奥医師から転身し、親仏外交で活躍

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久3年12月24日1864年2月1日学問所頭取清兵衛
元治元年6月29日1864年8月1日目付清兵衛
元治元年7月3日1864年8月4日目付清兵衛横浜鎖港事務取扱
慶応元年閏5月15日1865年7月7日先手過人清兵衛
慶応元年8月10日1865年9月29日軍艦奉行並清兵衛高300石
慶応元年11月2日1865年12月19日外国奉行清兵衛高300石
慶応元年11月28日1866年1月14日外国奉行安芸守諸大夫
慶応2年1月18日1866年3月4日寄合安芸守御役御免
慶応2年11月4日1866年12月10日外国奉行安芸守
慶応2年12月7日1867年1月12日外国奉行安芸守日丁修好通商条約調印(全権)
慶応3年3月4日1867年4月8日外国奉行安芸守仏国派遣拝命
慶応3年6月12日1867年7月13日勘定奉行/外国奉行/箱館奉行安芸守
慶応3年6月12日1867年7月13日勘定奉行/外国奉行/箱館奉行安芸守出帆
他に鋤雲と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『袖玉武鑑』(須原屋/慶応元年)軍艦奉行より抜粋

家紋は左五つ巴

史跡

善心寺にある墓碑

命日は明治30年3月6日(1897年3月6日)

東善寺に建つ栗本鋤雲像

横須賀自然人文博物館前に建つ栗本鋤雲像

両国に建つ明治期の住居跡碑

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:『幕末名家寫眞集』第[1]集,[書写者不明],[19–]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2575328 (参照 2024-05-31)