朽木綱美

『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「朽木弥市郎」表記区画を綱美の屋敷地と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では実父の「朽木周防守」(朽木綱常)表記となっている。家禄は6000石

福知山藩朽木家分家の大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永5年2月2日1852年2月21日中奥小姓彌市郎高6000石
安政6年5月6日1859年6月6日中奥小姓山城守駿府加番
元治元年5月27日1864年6月30日寄合山城守御奉公御免
元治元7月6日1864年8月7日寄合周防守土岐山城守が若年寄
元治2年3月4日1865年3月30日持弓頭周防守
慶応元年4月12日1865年5月6日持弓頭大和守松平周防守が老中
慶応元年9月10日1865年10月29日小姓組番頭(三番組)大和守
慶応2年9月寄合大和守辞任

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応2年)小姓組番頭より抜粋

家紋は隅立て四ツ目