朽木綱常

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「朽木周防守」表記区画を綱常の屋敷地と推定。同区画は万延2年の『江戸切絵図』では実子の「朽木弥一郎」(朽木綱美)表記となっている。家禄は6000石

火事場見廻から大番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保2年8月6日1831年9月11日火事場見廻弥市郎
天保3年12月12日1833年2月1日火消役(溜池)弥市郎
天保6年9月1日1835年10月22日百人組之頭(貮拾騎組)弥市郎
天保7年12月20日1837年1月26日小姓組番頭(四番組)弥市郎
天保10年12月6日1840年1月10日書院番頭(二番組)周防守
天保15年2月8日1844年3月26日大番頭(四番組)周防守
嘉永4年10月周防守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永2年)大番頭より抜粋

家紋は隅立て四ツ目

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-11-12)