木下利義

『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「木下左兵エ」表記区画を利義の養父の屋敷地(利義は部屋住)と推定。昌平黌学問吟味乙科及第(嘉永6年)。家禄は2000石。伊沢政義は実父

幕府海軍で役職を歴任する

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久2年12月29日1863年2月17日両番上席軍艦頭取勤吾左兵衛養子、高300俵
文久3年5月4日1863年6月19日二丸留守居格軍艦頭取勤吾布衣
文久3年7月21日1863年9月3日軍艦奉行並勤吾高300俵
元治2年2月2日1865年2月27日軍艦奉行勤吾
慶応元年閏5月16日1865年7月8日軍艦奉行大内記進発御供
慶応元年11月19日1866年1月5日外国奉行/軍艦奉行大内記高300俵
慶応2年5月19日1866年7月1日大目付/軍艦奉行大内記左兵衛倅
慶応2年10月24日1866年11月30日軍艦奉行大内記席次是迄通
慶応2年11月10日1866年12月16日軍艦奉行大内記家督、高2000石
慶応3年6月17日1867年7月18日寄合大内記辞任
慶応3年10月21日1867年11月16日大目付大内記
慶応4年2月22日1868年3月15日大内記辞任

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)軍艦奉行より抜粋

家紋は五七の桐