川勝広道

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「川勝照之助」表記区画を広道の屋敷地推定。家禄は700石

歩兵頭並から外国副総裁まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化4年3月5日1847年4月19日光之助家督
文久3年2月23日1863年4月10日歩兵頭並光之助
慶応元年12月3日1866年1月19日歩兵頭並近江守諸大夫
慶応2年8月27日1866年10月5日外国奉行近江守高700石
慶応4年2月6日1868年2月28日外国副総裁近江守
慶応4年閏4月5日1868年5月26日開成所惣奉行近江守

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:東京市 編『御府内沿革図書』第一篇上,東京市,昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436302 (参照 2025-03-13)

同地の文久元年の『御府内沿革図書』に「川勝光之助」の表記が確認できる。『江戸切絵図』に記載されている「川勝照之助」表記は「川勝光之助」の同音の別表記と判断し、同地を広道の屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応3年)外国奉行より抜粋

家紋は釘抜

史跡

谷中霊園にある墓碑

命日は明治21年9月4日(1888年9月4日)

肖像

明治名士写真帳「川勝広道」

(東京大学史料編纂所藏)