川勝広運

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「川勝中務」表記区画を広運の祖父の屋敷地と推定。家禄は2573石

目付から勘定奉行に抜擢

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久2年4月8日1862年5月6日目付縫殿助外国掛、左京伜
文久2年7月5日1862年7月31日勘定奉行(勝)縫殿助
文久2年閏8月3日1862年9月26日勘定奉行丹波守政事改革掛
文久2年閏8月22日1862年10月15日勘定奉行丹波守将軍上洛用掛
文久3年8月2日1863年9月14日勘定奉行/陸軍奉行並丹波守高300俵
文久3年8月14日1863年9月26日陸軍奉行並丹波守
元治元年8月19日1864年9月19日寄合丹波守御役御免
慶応元年7月10日1865年8月30日長崎奉行並美作守中務伜
慶応元年7月30日1865年9月19日寄合美作守
慶応元年11月26日1866年1月12日大目付美作守
慶応3年4月7日1867年5月10日大目付美作守家督
慶応3年6月17日1867年7月18日若年寄並美作守7000石足高
慶応4年1月23日1868年2月16日若年寄備後守国内御用取扱
他に蓬仙と号す

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:東京市 編『御府内沿革図書』第二篇下,東京市. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436308 (参照 2024-06-29)

同地の文久2年の御府内沿革図には広運の父である「川勝左京」表記が確認できる。文久2年時点の広運は川勝家惣領だったため、同地を広運の部屋住屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)陸軍奉行より抜粋

家紋は釘抜

史跡

谷中霊園にある墓碑

命日は明治8年6月29日(1875年6月29日)