合原義直(合原猪三郎)

『江戸切絵図』大久保/嘉永7年より抜粋、「福地甚右エ門」表記区画を義直の屋敷地と推定。家禄は100俵

外国奉行支配調役から大目付まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政5年10月12日1858年11月17日外国奉行支配調役猪三郎
万延元年10月11日1860年11月23日神奈川奉行支配調役猪三郎
文久2年神奈川奉行組頭猪三郎
文久3年7月21日1863年9月3日神奈川奉行並猪三郎
文久3年10月22日1863年9月3日二丸留守居猪三郎
元治元年7月25日1864年8月26日目付猪三郎勝手掛
元治元年7月28日1864年8月29日目付伊勢守諸大夫
元治元年9月20日1864年10月20日目付伊勢守御進発道中旅館見分幷宿割
慶応元年5月15日1865年6月8日持筒頭伊勢守
慶応元年閏5月1日1865年6月23日長崎奉行並伊勢守
慶応元年6月19日1865年8月10日歩兵頭伊勢守
慶応2年1月11日1866年2月25日目付左衛門尉勝手掛
慶応2年9月27日1866年11月4日外国奉行左衛門尉
慶応2年12月15日1867年1月20日寄合左衛門尉
慶応3年6月10日1867年7月11日陸軍奉行並左衛門尉
慶応4年1月28日1868年2月21日大目付左衛門尉
慶応4年2月19日1868年3月12日左衛門尉

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:『屋敷渡預絵図証文』第296冊,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2547976 (参照 2025-02-22)

『東京市史稿』によると、文久3年11月13日に小長谷鑑藏の上地にともない、合原猪三郎(義直)が大久保余丁町貮筋目に335坪余の屋敷地を拝領し、この屋敷地は北は中川金三郎、南は伊東鎌太郎、西は能勢益之助、東は道に面しているとあり、出典元が上記の『屋敷渡預絵図証文』なっている。この絵図を元に『江戸切絵図』大久保/嘉永7年に記載が確認できる「中川善左エ門」「伊東専之亟」「能勢三十郎」表記区画に囲まれた区画を義直の屋敷地と推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)神奈川奉行並より抜粋

家紋は五三の桐

史跡

染井霊園にある墓碑

命日は明治34年4月1日(1901年4月1日)