勝義邦(勝海舟)

『江戸切絵図』赤坂/万延2年より抜粋、「勝麟太郎」表記区画を義邦の屋敷地と推定。家禄は100俵。男谷信友(男谷精一郎)は従兄弟

無血開城で江戸を戦禍より救う

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政2年8月7日1855年9月17日小十人麟太郎
安政2年10月20日1855年11月29日小十人麟太郎長崎海軍伝習所着
安政3年6月30日1856年7月31日大番麟太郎
安政6年11月24日1859年12月17日大番麟太郎渡米命じられる
安政7年1月13日1860年2月4日大番麟太郎品川出港
安政7年2月26日1860年3月18日大番麟太郎サンフランシスコ入港
万延元年5月15日1860年7月30日大番麟太郎渡米を将軍に復命
万延元年6月24日1860年8月10日天守番頭麟太郎蕃書調所頭取助
万延元年12月1日1861年1月11日天守番頭麟太郎渡米褒賞
文久元年9月5日1861年10月8日講武所砲術師範麟太郎
文久2年7月4日1862年7月30日二丸留守居格軍艦操練所頭取麟太郎高100俵に加増、在職中500俵
文久2年閏8月17日1862年10月10日軍艦奉行並麟太郎海陸軍制用掛
文久3年4月24日1863年6月10日軍艦奉行並麟太郎神戸海軍所創設用掛
元治元年5月14日1864年6月17日作事奉行次席軍艦奉行安房守
元治元年11月10日1864年12月8日寄合安房守御役御免
慶応2年5月28日1866年7月10日江戸町奉行次席軍艦奉行安房守
慶応4年1月24日1868年2月17日陸軍総裁安房守
慶応4年3月13日1868年4月5日安房守西郷隆盛と予備的会見
慶応4年3月14日1868年4月6日安房守西郷隆盛と最終会談
他に海舟と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)軍艦奉行並より抜粋

家紋は丸に花菱

史跡

洗足池にある墓碑

命日は明治32年1月19日(1899年1月19日)

田町駅前にある江戸開城西郷南洲勝海舟會見之地碑

墨田区役所前に建つ勝海舟像

両国公園に建つ勝海舟生誕地碑

赤坂に建つ坂本龍馬との師弟像

赤坂に建つ勝海舟邸跡碑

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:岡田霞船 編『徳川義臣伝 : 明治戦記』甲,金松堂,明16.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/778458 (参照 2024-06-01)