勝田充

『江戸切絵図』下谷/文久3年より抜粋、「勝田伊賀」表記区画を充の屋敷地と推定。家禄は100俵

外交分野で活躍

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保13年11月26日1842年12月27日代官次郎
嘉永6年12月29日1854年1月27日代官次郎布衣、100俵高に加増
嘉永7年11月24日1855年1月12日勘定吟味役次郎
安政6年11月6日1859年11月29日勘定吟味役次郎本丸普請掛
安政6年12月23日1860年1月15日勘定吟味役次郎朝鮮信使来聘用掛
万延元年9月7日1860年10月20日箱館奉行次郎
万延元年9月15日1860年10月28日箱館奉行伊賀守諸大夫
文久2年7月5日1862年7月31日先手鉄砲頭伊賀守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)箱館奉行より抜粋

家紋は丸に梅鉢

史跡

西念寺にある墓碑

命日は慶応元年