加藤則著

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「加藤壹岐守」表記区画を則著の屋敷地と推定。家禄は200石

駿府関連職を長年担当する

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保13年8月14日1842年9月18日納戸組頭正三郎
安政3年9月24日1856年10月22日西丸徒頭正三郎
安政5年8月2日1858年9月8日目付正三郎外国掛
安政5年10月23日1858年11月28日目付正三郎神奈川開港取締用務
安政6年2月24日1859年3月28日外国奉行正三郎高200石
安政6年2月27日1859年3月31日外国奉行/神奈川奉行壱岐守
安政6年8月28日1859年11月22日普請奉行壱岐守
安政6年10月28日1859年11月22日駿府町奉行壱岐守
慶応元年9月4日1865年10月23日駿府町奉行隠岐守小笠原壱岐守が老中
慶応2年2月駿府定番隠岐守
慶応2年12月14日1867年1月19日寄合隠岐守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)駿府町奉行より抜粋

家紋は下り藤