赤松範忠

『江戸切絵図』外桜田/元治元年より抜粋、「赤松左エ門尉」表記区画を範忠の屋敷地と推定。家禄は3015石

番方を中心に要職を歴任

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保8年8月6日1837年9月5日中奥小姓次郎高3015石
天保9年12月16日1839年1月30日中奥小姓播磨守諸大夫
嘉永7年10月14日1854年12月3日小姓組番頭(七番組)播磨守
安政5年8月2日1858年9月8日書院番頭(八番組)左衛門尉一柳播磨守が同役
安政6年8月28日1859年9月24日外国奉行/神奈川奉行左衛門尉席次是迄通
万延元年7月23日1860年9月8日寄合左衛門尉辞任
万延元年10月22日1860年12月4日書院番頭(二番組)左衛門尉
文久2年1月20日1862年2月18日講武所奉行左衛門尉高3015石
慶応元年4月14日1865年5月8日側衆左衛門尉
慶応元年閏5月16日1865年7月8日側衆左衛門尉進発御供
慶応2年11月17日1866年12月23日側衆左衛門尉御用取次
慶応4年3月寄合左衛門尉御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)外国奉行より抜粋

家紋は五七の桐

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-03)