織田信裕

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「織田衛守」表記区画を信裕の屋敷地と推定。家禄は3000石

番方を書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政2年3月10日1855年4月26日火事場見廻金之助諱:信裕
安政5年11月29日1859年1月2日寄合肝煎衛守
安政5年12月10日1859円1月13日寄合肝煎/講武所頭取衛守
文久元年12月10日1862年1月9日中奥小姓次席講武所頭取衛守
文久2年10月10日1862年12月1日小姓組番頭(十番組)衛守諱:清裕
元治元年4月10日1864年5月15日書院番頭(三番組)伊賀守
慶応2年12月21日1867年1月26日寄合上野介

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/元治元年)書院番頭より抜粋

家紋は織田木瓜