稲葉正申

『江戸切絵図』市谷/安政4年より抜粋、「稲葉清次郎」表記区画は正申の子孫の屋敷地と推定。『御府内沿革図書』によると、正申の祖先も同区画に屋敷地を確認できることから正申も同区画を屋敷地にしていたと推定。家禄は500石

小納戸から長崎奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政12年4月19日1829年5月21日清次郎家督
天保5年11月23日1834年12月23日小納戸清次郎
天保5年11月28日1834年12月28日西丸小納戸清次郎
天保8年4月2日1837年5月6日小納戸清次郎
弘化2年6月9日1845年7月13日目付清次郎海防掛
嘉永元年5月26日1848年6月26日長崎奉行清次郎
嘉永元年7月1日1848年7月30日長崎奉行出羽守諸大夫
嘉永元年10月3日1848年10月29日出羽守

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:東京市 編『御府内沿革図書』第三篇上,東京市. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436310 (参照 2025-04-11)

同地の文化8年の『御府内沿革図書』に「稲葉主税」と正申の祖先の表記が確認できる。祖先も子孫も同区画に屋敷地が確認できるため、正申も同区画を屋敷地としていたと推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/弘化5年)目付より抜粋

家紋は折敷に三文字

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2025-04-11)