石川正敬

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「石川又四郎」表記区画を正敬の屋敷地と推定。家禄は4000石

二度にわたり火消役を務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政4年5月19日1857年6月10日火事場見廻又四郎
安政6年12月15日1860年1月7日火消役(溜池)又四郎
元治元年10月5日1864年11月4日持筒頭又四郎
慶応元年5月15日1865年6月8日小普請組支配又四郎
慶応2年8月4日1866年9月12日寄合又四郎御役御免
慶応2年8月26日1866年10月4日組合銃隊頭又四郎
慶応2年10月21日1866年11月27日火消役(八代洲河岸)又四郎
慶応4年2月26日1868年3月19日又四郎

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』赤坂/万延2年より抜粋、「定火消御役屋舗 石川又四郎」表記区画を正敬の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 小出伊織」(小出有儀)表記となっている

武鑑記載家紋

『袖玉武鑑』(須原屋/慶応元年)小普請組支配より抜粋

家紋は丸に石川芦