男谷信友(男谷精一郎)

『江戸切絵図』本所/文久3年より抜粋、「男谷精一郎」表記区画を信友の屋敷地と推定。家禄は100俵。勝義邦(勝海舟)は従兄弟

幕末屈指の剣豪旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保14年3月15日1843年4月14日徒頭精一郎
安政2年2月5日1855年3月22日徒頭/講武所頭取精一郎
安政2年8月9日1855年9月19日先手弓組/講武所頭取精一郎
安政3年5月6日1856年6月8日講武所剣術師範役精一郎
文久2年11月16日1863年1月5日講武所剣術師範役下総守諸大夫
文久3年8月18日1863年9月30日西丸留守居格講武所剣術師範役下総守
文久3年9月10日1863年10月22日講武所奉行並下総守
文久3年11月11日1863年12月21日講武所奉行並/籏奉行下総守上洛御供

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『袖玉武鑑』(須原屋/文久3年)講武所剣術師範役より抜粋

家紋は八重向う沢潟