池田長発

『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「池田筑後守」表記区画を長発の養父(池田長溥)の屋敷地と推定。昌平黌学問吟味乙科及第(安政3年)。家禄は1200石→600石。池田長休は実兄

横浜鎖港談判使節の正使として渡欧

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久元年10月1日1861年11月3日小十人頭修理
文久2年5月28日1862年6月25日目付修理外国掛
文久3年5月14日1863年6月29日火付盗賊改修理高1200石
文久3年6月6日1863年7月21日火付盗賊改修理京都派遣
文久3年7月12日1863年8月25日京都町奉行修理
文久3年7月29日1863年9月11日目付修理勝手掛
文久3年9月12日1863年10月24日外国奉行修理高1200石
文久3年11月28日1864年1月7日外国奉行筑後守横浜鎖港談判使節正使拝命
文久3年12月29日1864年2月6日外国奉行筑後守横浜出航
元治元年3月28日1864年5月3日外国奉行筑後守仏帝ナポレオン三世に謁見
元治元年5月17日1864年6月20日外国奉行筑後守パリ約定調印(全権)
元治元年7月22日1864年8月23日外国奉行筑後守帰朝
元治元年7月23日1864年8月24日寄合筑後守600石召上、隠居蟄居
慶応3年1月19日1867年2月23日軍艦奉行並可軒
慶応3年6月27日1867年7月28日可軒辞任

屋敷地推定

屋敷地推定補足

東京市 編『御府内沿革図書』第二篇下,東京市. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436308 (参照 2024-02-15)

同地の文久2年の御府内沿革図に「池田修理」と長発の表記が確認できるため、同地を長発の屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)外国奉行より抜粋

家紋は丸に揚羽蝶

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)