江川英龍(江川太郎左衛門)

『江戸切絵図』本所/嘉永5年より抜粋、「江川太郎左衛門」表記区画を英龍の屋敷地と推定。家禄は150俵

世直し太郎左衛門と称賛された伊豆韮山代官

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保5年代官太郎左衛門
天保13年12月16日1843年1月16日代官太郎左衛門布衣
天保14年5月18日1843年6月15日代官/鉄砲用役太郎左衛門
天保15年11月2日1844年12月11日代官太郎左衛門鉄砲御用御免
嘉永6年6月19日1853年7月24日勘定吟味役格/代官太郎左衛門
嘉永6年8月28日1853年9月30日勘定吟味役格/代官太郎左衛門内海台場普請及大筒鋳立掛
嘉永7年4月18日1854年5月14日勘定吟味役格/代官/鉄砲用役太郎左衛門
安政2年1月16日1855年3月4日太郎左衛門
他に担庵と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)韮山代官より抜粋

家紋は隅立て井桁に菊

史跡

屋敷地近辺に建つ説明版

江川英龍が建設した第三品川台場。現在、台場公園として一般開放されており、写真はレインボーブリッジから撮影

江川英龍が建設した第六品川台場。現在は立ち入り禁止だが、写真はレインボーブリッジから撮影

肖像

『大日本名家肖像集』,経済雑誌社,明40.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779871 (参照 2025-03-06)

「近世人物誌」「やまと新聞附録」「第十三」「江川太郎左エ門」(都立中央図書館蔵)

幕府名士小伝(著:木村芥舟)

江川英龍、太郎左衛門と称す。世々伊豆の韮山の懸令たり。性、沈毅精力、人に過絶す。つとに海防の事を憂い火術を練究し、反射炉を築き自から鋳造の業を執る。外国の事起りしより、旨を受けて海岸を巡視し、坊堵を謀り、風雨寒暑を厭はずして、一日も安居することなし。平生また粗食粗衣し、多く私費を抛ちて技芸の士を招き、もって国家不虞の用に供せんとす、その偉行縷挙すべからず。安政元年、勘定吟味役に任ず。その死するとき水戸烈公(徳川斉昭)深くこれを悼み、一方の長城を失ひたりと言われしか。人皆その知言を称せりとなり。