朝倉俊徳

『江戸切絵図』番町/嘉永3年より抜粋、「朝倉勘四郎」表記区画を俊徳の屋敷地と推定。家禄は500石

徳川家に近侍する役職を歴任

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保8年4月2日1837年5月6日西丸小納戸勘四郎奥ノ番
天保9年3月14日1838年4月8日西丸小納戸勘四郎西丸普請掛
天保12年3月23日1841年5月13日小納戸勘四郎肝煎
嘉永6年9月22日1853年10月24日小納戸(家定公)勘四郎肝煎
安政5年10月6日1858年11月11日小納戸(家茂公)勘四郎
文久元年12月16日1862年1月15日小納戸式部少輔諸大夫
文久2年10月小納戸頭取播磨守
元治元年5月24日1864年6月27日田安家老播磨守
元治元年10月23日1864年11月22日小姓組番頭格播磨守御用取次見習
慶応元年閏5月16日1865年7月8日小姓組番頭格播磨守進発御供
慶応元年10月9日1865年11月26日側衆播磨守御用取次
慶応2年10月24日1866年11月30日田安家老播磨守
慶応2年10月26日1866年12月2日留守居上席田安家老播磨守
慶応3年12月28日1868年1月22日寄合播磨守御役御免
慶応4年3月8日1868年3月31日留守居播磨守高500石

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応2年)側衆より抜粋

家紋は三つ盛り木瓜

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)