明楽茂正

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「明楽大隅守」表記区画を茂正の屋敷地と推定。家禄は800石。川村修就は義兄弟

膳奉行・広敷用人から普請奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政10年12月27日1828年2月12日西丸膳奉行八五郎
天保8年4月2日1837年5月6日膳奉行八五郎
天保9年11月25日1839年1月10日広敷用人八五郎飛騨守倅
天保10年12月18日1840年1月22日広敷用人大隅守諸大夫
天保12年5月20日1841年7月8日西丸広敷用人大隅守
天保13年8月24日1842年9月28日禁裏附大隅守
嘉永2年1月20日1849年2月12日京都町奉行大隅守
嘉永3年8月24日1850年9月29日小普請奉行大隅守
嘉永4年12月20日1852年1月11日普請奉行大隅守
嘉永6年6月13日1853年7月18日大隅守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『嘉永武鑑』(須原屋/嘉永3年)京都町奉行より抜粋

家紋は石持ち地抜き木瓜

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)