岡田忠養

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「岡田利嘉二郎」表記区画を忠養の屋敷地と推定。家禄は100俵→200俵。同区画は安政7年の『江戸切絵図』においては「竹内下野守」(竹内保徳)表記、文久3年の『江戸切絵図』においては「水野筑後守」(水野忠徳)表記となっている

勘定組頭から勘定奉行並まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化元年12月15日1845年1月22日勘定組頭利喜次郎永々御目見以上
嘉永7年7月24日1854年8月17日勘定吟味役利喜次郎海防掛、高100俵に加増
安政元年12月16日1855年2月2日勘定吟味役利喜次郎布衣
安政2年5月22日1855年7月5日下田奉行利喜次郎高200俵に加増
安政4年4月27日1857年5月20日小普請奉行備中守
安政4年11月22日1858年1月6日寄合備後守
文久元年8月24日1861年9月28日勘定吟味役安房守
文久2年8月14日1862年9月7日寄合安房守御役御免
元治2年1月28日1865年2月23日勘定吟味役安房守
慶応元年5月2日1865年5月26日寄合安房守御役御免
慶応3年3月1日1867年4月5日製鉄所奉行並安房守高200俵
慶応3年10月20日1867年11月15日作事奉行安房守
慶応3年11月5日1867年11月30日勘定奉行並安房守在方掛
慶応4年2月16日1868年3月9日清水小普請組支配安房守高200俵

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)小普請奉行より抜粋

家紋は細輪に太一つ引き