岡本成

『江戸切絵図』本郷/安政4年より抜粋、「岡本近江守」表記区画を成の屋敷地と推定。家禄は200俵→500石

代官から勘定奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保9年12月29日1839年2月12日代官忠次郎
天保10年5月12日1839年6月22日勘定吟味役忠次郎
天保12年11月15日1841年12月27日留守居番次席勘定吟味役忠次郎高200俵に加増
天保12年12月16日1842年1月27日留守居番次席勘定吟味役近江守諸大夫
天保13年5月24日1842年7月2日勘定奉行(勝)近江守高500石に加増
天保13年5月29日1842年7月7日勘定奉行近江守朝鮮信使来聘用掛
天保14年5月10日1843年6月7日鎗奉行近江守
嘉永3年11月1日1850年12月4日近江守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/天保14年)勘定奉行より抜粋

家紋は中陰七宝に反剣花角

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2025-03-22)

幕府名士小伝(著:木村芥舟)

近江守岡本成、初め忠次郎と称す。学識富瞻、詩最もその長所なり。小吏より出て縣令に任じ彈琴の治あり。天保十三年、勘定吟味役より、勘定奉行に進む。革弊(天保の改革)の際にあたりすこぶる尽す所あり、この人、雅量清白その逸事の世に伝うるもの少からず。のち老衰をもって散官に転ず。