小野広胖(小野友五郎)

『慶応改正御江戸大絵図』(国会図書館蔵)より抜粋、「伊達遠江」表記区画の一部を広胖の屋敷地と推定。家禄は100俵

常陸笠間牧野家中から取り立てられた算術の鬼才

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久元年7月12日1861年8月17日小十人格軍艦頭取友五郎
文久3年5月4日1863年6月19日軍艦頭取上席友五郎
文久3年12月29日1864年2月6日勘定組頭(勝手方)友五郎
元治元年6月28日1864年7月31日勘定吟味役友五郎
慶応元年5月勘定吟味役友五郎進発御供
慶応2年9月勘定吟味役友五郎帰府
慶応2年10月12日1866年11月18日勘定吟味役友五郎米国御用派遣
慶応3年8月20日1867年9月17日勘定頭取友五郎
慶応3年10月23日1867年11月18日勘定奉行並(勝手方)友五郎
慶応3年12月16日1868年1月10日勘定奉行並内膳正諸大夫
慶応4年1月28日1868年2月21日内膳正御役御免
慶応4年2月29日1868年3月22日内膳正逼塞

屋敷地推定

屋敷地推定補足

『屋敷渡預絵図証文』第300冊,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2588014 (参照 2025-06-07)『東京市史稿』には、慶応元年9月11日(1865年10月30日)に芝金杉の伊達遠江守の御預地のうち400坪を願いの通り、小野友五郎が屋敷として拝領し、この屋敷地は東は徒目付中島弥九郎及び陸軍奉行の竹中丹波守、西は新規の道、南は陸軍奉行の竹中丹波守、北は小普請組改下役の桜木隆太郎及び徒目付の宮本久平の屋敷地に面しているとある。出典元は上記の『屋敷渡預絵図証文』となっている。この絵図を基に『慶応改正御江戸大絵図』に記載が確認できる「伊達遠江」表記区画の一部を広胖の屋敷地と推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応3年)勘定吟味役より抜粋、家紋は丸に花角