小笠原長穀

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「小笠原加賀守」表記区画を長穀の屋敷地と推定。昌平黌学問吟味乙科及第(享和3年)。家禄は5000石。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では竹本主水正(竹本正懋)表記、安政7年の『江戸切絵図』では「遠山安藝守」(遠山景高)表記となっている

遠国奉行・番方要職を歴任後側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保6年3月7日1835年4月3日中奥小姓中務
天保8年11月16日1837年12月13日中奥小姓下総守家督
天保11年1月13日1840年2月15日中奥小姓加賀守間部下総守が老中
天保13年5月10日1842年6月18日浦賀奉行加賀守
天保13年12月24日1843年1月24日下田奉行加賀守
天保14年9月28日1843年10月21日小姓組番頭(四番組)加賀守
弘化5年2月24日1848年3月28日書院番頭(四番組)加賀守
嘉永6年12月28日1854年1月26日大番頭(十番組)加賀守
安政6年11月24日1859年12月17日側衆加賀守
元治元年9月28日1864年10月28日菊間縁頬詰加賀守
慶応3年10月3日1867年10月29日留守居加賀守高5000石
慶応4年1月28日1868年2月21日寄合加賀守

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』本所/嘉永5年より抜粋、「小笠原加賀守」表記区画を長穀の屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『嘉永武鑑』(須原屋/嘉永3年)書院番頭より抜粋

家紋は三階菱

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)