小笠原長常

『江戸切絵図』鉄砲図/文久元年より抜粋、「小笠原長門守」表記区画を長常の屋敷地と推定。家禄は3000石。久貝正典は実兄

政事改革用掛として文久の改革を実行

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保14年閏9月15日1843年11月6日中奥小姓織部高3000石
嘉永6年12月15日1854年1月13日甲府勤番支配長門守
安政4年3月13日1857年4月7日浦賀奉行長門守
安政5年6月5日1858年7月15日京都町奉行長門守
万延元年9月15日1860年10月28日大目付長門守
万延元年12月15日1861年1月25日勘定奉行(勝)長門守
文久元年12月23日1862年1月22日留守居格勘定奉行長門守
文久2年6月5日1862年7月1日江戸町奉行(北)長門守席次是迄通
文久2年閏8月3日1862年9月26日江戸町奉行長門守政事改革用掛
文久2年10月17日1862年12月8日書院番頭長門守
文久2年11月20日1863年1月8日寄合長門守御役御免、隠居
慶応元年7月8日1865年8月28日神奈川奉行軽鴎
慶応2年6月20日1866年7月31日陸軍奉行並筑後守高切米1000俵
慶応2年8月5日1866年9月13日海軍奉行並筑後守
慶応2年11月15日1866年12月21日寄合筑後守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)京都町奉行より抜粋

家紋は三階菱