小笠原長儀

『江戸切絵図』日本橋/嘉永3年(国会図書館蔵)より抜粋、「小笠原弥八郎」表記区画を長儀の屋敷地と推定。家禄は4500石

火事場見廻から浦賀奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保7年4月27日1836年6月10日火事場見廻主膳
天保13年4月20日1842年5月29日火消役(飯田町)弥八郎
嘉永5年12月10日1853年1月19日小普請組支配弥八郎
安政6年9月10日1859年10月5日浦賀奉行弥八郎
万延元年10月15日1860年11月17日肥前守

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』番町/嘉永3年より抜粋、「定火消御役屋舗 小笠原弥八郎」表記区画を長儀の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は安政5年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 戸田民部」(戸田光烈)表記となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)小普請組支配より抜粋

家紋は三階菱

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)