小笠原政民

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「小笠原志摩守」表記区画を政民の屋敷と推定。家禄は5000石

番方・役方で要職を歴任した大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保13年3月20日1824年4月30日火事場見廻順三郎
天保13年9月30日1842年11月2日火消役(赤坂門外)順三郎
嘉永7年1月28日1854年2月25日小普請組支配順三郎
万延元年3月28日1860年4月18日小姓組番頭(五番組)順三郎
万延元年12月16日1861年1月26日小姓組番頭志摩守諸大夫
文久2年10月10日1862年12月1日書院番頭(三番組)志摩守
文久3年8月13日1863年9月25日大番頭(十番組)志摩守
慶応元年6月27日1865年8月18日勘定奉行(公)志摩守
慶応2年6月15日1866年7月26日大番頭(十一番組)志摩守
慶応2年8月27日1866年10月5日留守居志摩守
慶応3年8月13日1867年9月10日志摩守御役御免、隠居

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』赤坂/嘉永3年より抜粋、「定火消御役屋舗 小笠原順三郎」表記区画を政民の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は万延2年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 花房釩之丞」(花房職補)表記となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応元年)勘定奉行より抜粋

家紋は三階菱

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)