小俣景徳

『江戸切絵図」小川町/慶応元年より抜粋、「小俣稲太郎」表記区画を景徳の屋敷地と推定。家禄は100俵→300俵

最後の奈良奉行

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政2年2月16日1855年4月2日勘定組頭格寺社奉行吟味物調役稲太郎
安政4年8月3日1857年9月20日勘定組頭格寺社奉行吟味物調役稲太郎永々御目見以上
安政6年12月28日1860年1月20日勘定組頭格寺社奉行吟味物調役稲太郎布衣、高100俵に加増
文久元年4月8日1861年5月17日勘定組頭格寺社奉行吟味物調役稲太郎高300俵に加増
文久2年7月21日1862年8月16日腰物奉行稲太郎
元治元年9月1日1864年10月1日目付稲太郎諱:景行
慶応2年11月4日1866年12月10日奈良奉行稲太郎
慶応2年12月18日1867年1月23日奈良奉行伊勢守諸大夫、諱:景徳

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応3年)奈良奉行より抜粋

家紋は丸に違い鷹の羽