奥田忠教

『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「奥田主馬」表記区画を忠教の屋敷地と推定。家禄は3300石

一年半小姓組番頭を務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保7年4月19日1836年6月2日火事場見廻主馬諱:高起
天保15年9月7日1844年10月18日寄合肝煎主馬諱:高起
嘉永5年12月27日1853年2月5日西丸新番頭(一番組)主馬諱:高起
嘉永6年9月27日1853年10月29日新番頭主馬諱:高起
嘉永7年1月22日1854年2月19日小普請組支配主馬諱:高起
万延元年10月22日1860年12月4日小姓組番頭(十番組)主馬諱:高起
万延元年12月16日1861年1月26日小姓組番頭下野守諸大夫
文久2年7月4日1862年7月30日寄合下野守諱:忠教

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久元年)小姓組番頭より抜粋

家紋は亀甲に花角

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)