太田資芳

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「太田播磨守」表記区画を資芳の屋敷地と推定。同区画は慶応元年の『江戸切絵図』では後継の「太田筑前守」(太田資順)表記となっている。家禄は2000石

御伽から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
享和2年12月御伽(家慶公)乙之丞
文化6年1月28日1809年3月13日西丸小姓乙之丞
天保3年西丸小姓頭取介
天保8年3月西丸小姓頭取播磨守
天保8年4月2日1837年5月6日小姓頭取播磨守
天保12年7月1日1841年8月17日新番頭格小姓頭取播磨守高2000石
天保14年11月28日1844年1月17日小姓組番頭格播磨守高2000石
弘化3年12月側衆播磨守
嘉永6年9月15日1853年10月17日側衆(家定公)播磨守
安政4年閏5月16日1857年7月7日播磨守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)側衆より抜粋

家紋は矢尻付き違い矢

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-26)