太田資寧

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「太田隠岐守」表記区画を資寧の屋敷地と推定。家禄は5000石

中奥小姓から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化4年12月22日1808年1月19日中奥小姓彦十郎高5000石
文化9年11月16日1812年12月19日中奥小姓内蔵頭諸大夫
文政5年11月12日1822年12月24日小普請組支配内蔵頭
文政11年8月8日1828年9月16日日光奉行内蔵頭
天保7年9月20日1836年10月29日小姓組番頭(二番組)隠岐守
天保8年8月20日1837年9月19日留守居隠岐守
天保10年11月5日1839年12月10日西丸側衆隠岐守
嘉永6年9月15日1853年10月17日側衆隠岐守
嘉永7年9月19日1854年11月9日菊間縁頬詰隠岐守願付御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永5年)西丸側衆より抜粋

家紋は太田桔梗

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-10-25)