大沢乗哲

『江戸切絵図』本郷/安政4年より抜粋、「大沢豊後守」表記区画を乗哲の屋敷地と推定。家禄は2600石

役方を歴任し側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保8年3月27日1837年5月1日徒頭仁十郎諱:定宅
弘化2年12月20日1846年1月17日西丸目付仁十郎
弘化4年8月10日1847年9月19日目付仁十郎勝手掛
嘉永2年9月14日1849年10月29日目付仁十郎大猷院二百回法事掛
嘉永3年10月4日1850年11月7日目付仁十郎日光宮修復掛
嘉永5年5月15日1852年7月2日長崎奉行仁十郎諱:乗哲
嘉永5年7月1日1852年8月15日長崎奉行豊後守諸大夫
嘉永7年5月9日1854年6月4日小普請奉行豊後守
安政4年2月24日1857年3月19日作事奉行豊後守
安政5年1月13日1858年2月26日作事奉行豊後守宗門改
安政5年2月20日1858年3月24日作事奉行豊後守道中奉行
安政5年11月30日1859年1月3日勘定奉行(公)豊後守
安政6年9月10日1859年10月5日一橋家老豊後守
万延元年9月7日1860年10月20日大目付豊後守公儀役料1000俵其儘
万延元年12月25日1861年2月4日大目付豊後守日記改
文久2年7月5日1862年7月31日一橋家老豊後守
文久3年7月10日1863年8月23日留守居豊後守高2600石
元治元年8月6日1864年9月6日側衆豊後守
慶応2年11月12日1866年12月18日豊後守御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)留守居より抜粋

家紋は丸に抱き茗荷

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)