大久保忠豊

『江戸切絵図』深川/安政2年より抜粋、「大久保因幡守」表記区画を忠豊の屋敷地と推定。家禄は5000石

火消役から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保5年5月30日1834年7月6日火消役(小川町)彦八郎
天保9年11月20日1839年1月5日百人組之頭(貮拾五騎組)彦八郎
天保14年2月22日1843年3月22日小姓組番頭(六番組)彦八郎
天保14年12月16日1844年2月4日小姓組番頭因幡守諸大夫
天保15年9月15日1844年10月26日書院番頭格浦賀奉行因幡守
弘化4年5月12日1847年6月24日書院番頭(五番組)因幡守
嘉永5年7月8日1852年8月22日大番頭(三番組)因幡守
安政5年6月25日1858年8月4日側衆(家茂公)因幡守
安政5年9月28日1858年11月3日側衆因幡守
万延元年6月1日1860年7月18日側衆志摩守諏訪因幡守が若年寄
文久2年5月28日1862年6月25日菊間縁頬詰志摩守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)大番頭より抜粋

家紋は大久保藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-14)