大久保忠誨

『江戸切絵図』外桜田/嘉永3年より抜粋、「大久保駿河守」表記区画を忠誨の屋敷地と推定。家禄は5000石

西丸目付から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化5年11月21日1809年1月6日西丸目付久五郎豊前守惣領
文化6年12月16日1810年1月21日西丸目付備中守諸大夫
文化7年9月12日1810年10月10日西丸目付備中守家督
文化14年8月25日1817年10月5日西丸目付上野介阿部備中守が老中
文政6年12月8日1824年1月8日持弓頭上野介
文政7年6月8日1824年7月4日小普請組支配上野介
文政8年11月24日1826年1月2日小姓組番頭(五番組)上野介
天保2年1月19日1831年3月3日側衆駿河守
天保7年9月4日1836年10月13日西丸側衆駿河守
天保12年3月23日1841年5月13日側衆(家定公)駿河守
嘉永6年9月15日1853年10月17日側衆駿河守
文久元年6月11日1861年7月18日駿河守隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)側衆より抜粋

家紋は大久保藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-10-24)