大久保忠董

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「大久保喜右エ門」表記区画を忠董の屋敷地と推定。家禄は350俵

徒頭から京都町奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永3年12月15日1851年1月16日徒頭喜右衛門
安政2年8月9日1855年9月19日先手鉄砲頭喜右衛門
万延元年閏3月22日1860年5月12日先手鉄砲頭喜右衛門火付盗賊改加役
文久元年11月16日1861年12月17日京都町奉行喜右衛門
文久元年12月1日1861年12月31日京都町奉行土佐守諸大夫
文久2年10月17日1862年12月8日浦賀奉行土佐守
元治2年1月29日1865年2月24日寄合土佐守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)京都町奉行より抜粋

家紋は大久保藤