大久保忠摸

『江戸切絵図』深川/安政2年より抜粋、「大久保豊後守」表記区画を忠摸の屋敷地と推定。同区画は文久2年の『江戸切絵図』では実子の「大久保嘉平次」(大久保忠恕)表記となっている。家禄は5000石

中奥小姓から小姓組番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保12年5月22日1841年7月10日中奥小姓四郎太郎主膳正倅
天保12年12月8日1842年1月19日中奥小姓四郎太郎家督
天保13年11月9日1842年12月10日中奥小姓豊後守諸大夫
嘉永6年5月14日1853年6月20日甲府勤番支配豊後守
安政3年3月28日1856年5月2日小姓組番頭(三番組)豊後守
安政5年5月豊後守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)小姓組番頭より抜粋

家紋は大久保藤