大久保忠恕

『江戸切絵図』深川/文久2年より抜粋、「大久保嘉平次」表記区画を忠恕の屋敷地と推定。同区画は安政2年の『江戸切絵図』では実父の「大久保豊後守」(大久保忠摸)表記となっている。家禄は5000石

役方番方双方で要職を歴任した大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
万延元年3月22日1860年4月12日本所深川火事場見廻主税
文久元年3月12日1861年4月21日学問所世話心得頭取主膳
文久元年6月8日1861年7月15日目付主膳
文久2年6月5日1862年7月1日長崎奉行嘉平次
文久3年6月12日1863年7月27日大目付/長崎奉行豊後守
文久3年7月13日1863年8月26日大目付/長崎奉行豊後守鉄砲改、日記改
文久3年8月13日1863年9月25日大目付/長崎奉行豊後守道中奉行
元治元年6月17日1864年7月20日寄合豊後守御役御免
元治元年8月18日1864年9月18日籏奉行主膳正
元治元年10月11日1864年11月10日甲府勤番支配主膳正
元治元年11月19日1864年12月17日寄合主膳正御役御免
慶応元年12月21日1866年2月6日京都町奉行主膳正
慶応3年12月9日1868年1月3日陸軍奉行並主膳正高5000石
慶応4年2月9日1868年3月2日主膳正御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)大目付より抜粋

家紋は上り藤に大の字