大久保忠宣

『江戸切絵図』深川/文久2年より抜粋、「大久保四郎左エ門」表記区画を忠宣の屋敷地と推定。家禄は6000石

大目付まで昇進した大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久2年12月6日1863年1月25日寄合肝煎四郎左衛門
文久3年3月5日1863年4月22日甲府勤番支配四郎左衛門
文久3年10月11日1863年11月21日神奈川奉行紀伊守席次是迄通
元治元年8月3日1864年9月3日大目付紀伊守
慶応元年閏5月16日1865年7月8日大目付紀伊守進発御供
慶応元年10月16日1865年12月3日寄合紀伊守御役御免差控
慶応3年8月23日1867年9月20日寄合肝煎紀伊守
慶応4年2月11日1868年3月4日駿府町奉行紀伊守
慶応4年2月20日1868年3月13日紀伊守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)神奈川奉行より抜粋

家紋は上り藤に大の字