井戸弘道

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「井戸鉄太郎」表記区画を弘道の屋敷地と推定。昌平黌学問吟味甲科及第(文政6年)。家禄は500石

ペリー来航時の浦賀奉行の一人

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化3年12年1月1847年1月17日徒頭鉄太郎
弘化4年8月10日1847年9月19日西丸目付鉄太郎
嘉永元年5月26日1848年6月26日目付鉄太郎勝手掛
嘉永6年4月28日1853年6月4日浦賀奉行鉄太郎
嘉永6年6月6日1853年7月11日浦賀奉行石見守諸大夫
嘉永6年12月15日1854年1月13日大目付石見守海防掛
嘉永7年7月24日1854年8月17日大目付石見守軍制改正掛
安政2年7月26日1855年9月7日石見守
他に敬甫と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)大目付より抜粋

家紋は六曜

史跡

法養寺にある墓碑

命日は安政2年7月26日(1855年9月7日)