上田義苗

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「上田豊之助」表記区画を義苗の屋敷地と推定。家禄は5000石

中川番から火消役に昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永2年10月18日1849年12月2日中川番豊之助
安政2年12月28日1856年2月4日火消役(八代洲河岸)豊之助
万延元年6月豊之助

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』大名小路/安政7年より抜粋、「定火消御役屋敷 上田豊之助」表記区画を義苗の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は嘉永2年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋敷 松平采女」(松平忠受)表記となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)火消役より抜粋

家紋は釘抜

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-12)